1985年の阪神タイガース優勝の写真、選手、試合スコア。阪神タイガースの歴史、経済効果、応援歌などを紹介。

阪神タイガース阪神タイガース優勝'85

野村克也リーグ予想

ここでは、当時、野球評論家であったノムさんがリーグ予想をどのようにしていたかを紹介します。 誰も阪神タイガースが優勝するとは考えていませんでした。


 開幕前の私の予想(阪神3位)は、みごとにはずれてしまった。 なぜはずれたのか、反省をこめて阪神の今季を振り返ると−

 最大の理由は、吉田監督への評価が低すぎたところにあった。監督として1度は失敗している。 だから、”今度もまた…”と疑問視したところに落とし穴があった。 失敗を生かしていた。それを選手との接し方にみることができる。

 例えば、あと1回を投げれば勝利投手になるのに降ろす。 以前の吉田監督は、こんなケース、問答無用だった。 今年は、降ろしたあとで、”なぜなのか”を話している。選手を納得させることが加わったのである。 2軍に行かせるときも同様だ。 ただ、「2軍にいけ」では、ペナルティーの意味しか感じない。 ”なぜ”を説明し矯正箇所を私的することで2軍を再調整の場とすることができる。 これなら、ふてくされることなく、1軍への復帰へのテーマを持った練習が展開される。

 納得しなければ働かない時代、そんな背景にマッチした人心掌握を試みるとは思わなかった。 時代といえば、今年の吉田野球は、昭和60年代の野球を方向づけてもいる。 「2枚ストッパーの確立」がそこである。

 球場設備、練習用マシン、用具、ビデオの登場、スコアラーの存在…。 こういったものの開発進歩で、野球は変わっている。 特に、打者にとってますます有利な条件が揃ってきている。いってみれば、投手受難の時代だ。 昭和50年からの10年間は、リリーフエースなくして連覇なし、の時代だった。 60年代は、さらに分業化が進んでダブルストッパー。 これは時代の要求である。

 ヤクルトがいいことを教えている。8月末の数字だが、完投した試合は15勝2敗1分け。 投手を4人まで投入したら1勝15敗。 5人以上になると0勝15敗2分け。問題は先発が崩れた試合をどうひろっていくか。 さらに後半接戦になったときはどう競り勝つかなのだ。 弱者が教える時代の流れ−。吉田野球は、時代を先取りしたといえよう。 これで、先発、リリーフに相乗効果も生まれた。

 投手陣は、自分の役割、出番を自ら知るようになった。 分業化とは、働きやすくする配慮であり、まかせる形でもある。 打線でも2番以外は不動のオーダーとして試合に臨んだ。これも「まかせる」である。

 まかされたら、責任を感じる。責任感が、知恵を生む。 ここに9月に入ってからの阪神が強くなっていった秘密がある。 このあたり、巨人とは好対照ではある。 口では「攻撃野球」といいながら、その実、守りに目を向けていた吉田監督。 ゲイルの獲得といい、ダブルストッパーといい、チームに合った努力、 正しい努力をしてきた成果が21年ぶりのVに結びついたといえる。 おめでとうございます。


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