1985年の阪神タイガース優勝の写真、選手、試合スコア。阪神タイガースの歴史、経済効果、応援歌などを紹介。

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日めくり 阪神タイガース 2006年度 カレンダー
(AA)日めくり 阪神タイガース 2006年度 カレンダー

平本渉(サンスポ)

ここでは、トラ番記者の記事を紹介したいと思います。ある意味、記者はタイガースに対する熱い思いはひとしおだと思います。 その記者がどのような記事を書いていたのかを見ることによって、当時を熱く振り返られるのではないかと考えています。


 悲願がかなった。タイガースが優勝した。ついに、というか、とうとうというか。 いや、”やっと”なのだろうか。栄光の瞬間に出合って胸に迫る思いは様々だ。

 悲願21年。あまりにも長く苦しい道だった。だから、よけい熱い思いがこみあげてくる。 甲子園球場で藤本定義監督(故人)の胴上げを見たのはもう21年も昔のことである。 背番”61”の老将が秋の空に舞い、それを支えた選手の輪の中に吉田さんがいた。 そしていま、背番”81”の吉田監督が掛布、岡田、バース、真弓、中西ら猛虎戦士たちの手で神宮の夜空に舞っている。 背番号にみる”20”の開きは、そのまま阪神にとって苦節の歳月ではなかったか。

 39年優勝の日、私はかけ出しの記者だったが、幸運にも先輩記者にまじって優勝の瞬間を取材することができた。 が、正直なところ、あれから20年も優勝原稿に無縁になろうとは思いもしなかった。 金田正泰監督の時代(48年)にV目前まで行ったが実らず、 吉田監督が前回指揮をとった50年から3年間も絶好のチャンスを逃している。 この間、他の球団は次々に栄光を手にしていた。なぜ、阪神だけが優勝に無縁なのか。 一時は、”2度と巡り合えないかも知れない”とあきらめたものだ。

 優勝との出合いは、”記者冥利”で、感動のシーンを思いのままファンに伝えることができる喜びがある。 が、この20年、阪神の秋はいつもストーブ・リーグに入っていた。 広島や巨人の担当記者を羨しく思いながら監督問題やトレード話を追ったものである。 だが、ことしは違う。いまは違う。歓喜の胴上げを目の前に見ている。吉田監督の涙も見た。夢ではない。 20余年も阪神とともに歩み続けてきてよかった、と幸せをかみしめながら書いている。

 3年前から”必需品”になった遠視の眼鏡が曇ってしかたがない。泣かないつもりだったのに…。 タイガースの優勝を20年も待っている間に、”かけ出し”はとっくに”ベテラン”などと呼ばれるようになった。 掛布に岡田にバース。さらに川藤、野村が宙に舞っている。若い力がベテランを胴上げしている。 苦節20年、阪神らしい感動のシーンではないか。ベンチ横で見守っていた山本も輪の中に入れてやりたかった。

 老いも若きも全国の阪神ファンが夢にまで見た栄光の瞬間。Vの軌跡をたどるとき、”天、地、人”の3要素が浮かぶ。 天の恵みがあった、地の利もあった。”一丸挑戦”の人の輪もできていた。 が、吉田監督の的確なチーム強化方針と積極的な実行。さらに采配の妙はすべての土台になっている。

 投攻守とも、”攻める気持ち”に徹せよ、と説き、スローガンの、 ”3F野球(フレッシュ、ファイト、フォア・ザ・チーム)”を貫いた。 私も吉田監督とのふれ合いは長いけれども、刻まれた年輪とVの偉業は切り離せないような気がする。 ”牛若丸”から、”闘将”へ、さらに前進を続けて欲しい。 悲願を成し遂げた選手たちは歴代関係者、先輩選手の苦労を忘れないことだ。 栄光はこの1年のものではない。 1つのステップにして球団未到の日本一をめざし、60年代をリードするような、 ”より強い阪神”へ、あくなき挑戦を期待している。


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