日本の名前のあり方には大きな偏りがあります。 日本の人口の10%余りが、 「10大姓」と呼ばれる「佐藤」、「鈴木」などのもっともありふれた名前を名のっています。 そして、上位100位の名前を持つものは、日本の総人口の22%余りになるといわれています。
次の表は、 苗字館が公開している名前の多い上位ランキングです。
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「田中」、「山本」、「小林」、「中村」といった名前であれば、 地形もしくは地名に起因しているものだと考えることができます。 しかし「佐藤」、「鈴木」といった言葉は日常生活の中で考え出されたものではないことが容易に理解できると思います。 佐藤の名称は、藤原秀郷の子孫にあたる藤原系の武士がなのった名前です。 秀郷の5代目の子孫にあたる藤原公清、公脩の兄弟が祖先の秀郷が下野国佐野庄の領主であったことにちなんで、 「佐野」の「佐」と「藤原」の「藤」とをあわせた「佐藤」を名前にしたことに始まります。 鈴木の名称は、古代にはみられません。「鈴木」は古くは「すすき」と読まれていました。 それは、秋に稲を収穫して田につんでおくありさまをさす言葉でありました。 山のように積んだ稲の中に一本の棒または竹を立てます。 その木から神が下りてきて寝ている稲穂に稲魂をうえます。そのあとで、稲魂を宿した稲を倉庫に入れて、種籾にしたのです。 そのような神聖な木が「すすき」とよばれ、のちに稲穂を積んだものも「すすき」とされました。 熊野大社の神官は、中世に「穂積」が「すすき」とよばれるようになると「鈴木」を名前にしました。 そして、中世に熊野大社は各地に山伏を送って意欲的に布教していました。 熊野大社の分社を祭るようになった武士は、自分の名前を鈴木に改め支配下の農民に自分と同じ名前を与えました。 このような経緯から、「鈴木」の名前は熊野大社の末社の分布が濃い東北地方や関東地方に多いのです。 |
「田中」や「中村」の地名は、一つの農村が作られたときにその中心部分をあらわすために作られたものです。 「中田」、「木村」、「大村」などの地名も同じ意味を持ちます。 人々が新たに土地をひらいて集落をつくったときに、そこの有力者が村落の中心部分に住んで「田中」となのりました。 そして、その名前がしだいにそこの中流以上の農民のあいだに及んでいったのだと考えられています。 このことから、「田中」の名字は「鈴木」、「佐藤」の名前が広まらなかった、 近畿地方から北九州にかけての地域に比較的多いことになります。