室町時代の名前の普及の中で、日本人の大部分は名前を用いることを望むようになっていました。 にもかかわらず、農民の多くがすでに名前を領主から与えられていたことを知りながら、 武士以外が名前を公称することを禁じた江戸幕府の政策はきわめて不自然のものでした。
それならば、すべての庶民に名前を許し、人心を政府に引きつけるのがよいと判断した明治の新政府は、 四民平等の社会を実現する方針をとり、 武士と農民、町人とのあいだの名前による区別を全廃することにしました。政府はその方針に基づき、 日本で最初に作成したのが、壬申戸籍と呼ばれるものです。
名前を与える一方で、名前や名前の改称を許すなら戸籍業務にさしつかえがでるということで、 通称と実名とを併称することが禁じられ、また名前を改称してはならないとする法令がでました。 また、何らかの不都合があって、それを改める必要がある場合には、 官庁に願い出なければならないとも定めらました。 この時の法令は、現在の戸籍改称に関する考え方に受け継がれています。
この壬申戸籍は、ヨーロッパにならった近代的な税制や徴兵制、 学制を作り上げることを目的にまとめられたものであり、 実際、近代国家は、すべての国民の名前と年齢と家族関係を把握したうえに成り立っています。